■シオンの議定書 1〜10
シオンの議定書を日本人が知らない恐るべき真実より抜粋紹介する。
流し読みしやすくするため太字はhourouが付け加えた。省略部分はーーーで表す。
ついでに余計なコメントも入れてあります^^;
以下抜粋
ーーー この『シオンの議定書』のことをどこで聞いたのか、いつ聞いたのか、まったく覚えていません。もちろん読んだこともありませんでした。しかし、何故か『シオンの議定書』のことが何度も頭に浮かび、気になってしかたないので調べてみました。
この『シオンの議定書』は『シオン長老の議定書』とか『ユダヤ・プロトコール』とも呼ばれています。1897年8月29日〜31日にスイスのバーゼルで、政治的シオニスト運動の国際組織「世界シオニスト機構」が創設された第一回シオニスト会議が開かれました。その席上で、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した「シオン長老作成の24項目の決議文」が流出したものであるとされています。
これがのちに『シオンの議定書』という通称で世界的に翻訳され、「ユダヤ指導者による世界を裏面から操りながらのユダヤ王国再興世界支配計画が明らかにされた」と物議をかもしだしました。
ヒットラーは、この文書の内容をユダヤ人迫害の最大の理由づけにし、ホロコーストを起こす大きな要因にもなったとされています。
現在、通説的には、『シオンの議定書』は1900年代初頭、ロシア政府のユダヤ人弾圧を正当化し、当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐殺)を煽動するためにロシア帝政内務省の秘密警察の手の者によって書かれた偽物であるという説が有力です。しかし、この議定書は「偽書であっても内容は本物」という評価もあり、その真偽は定かではありません。ヒトラーも「そこに書かれている内容はユダヤ人を説明するのに適している」「議定書には多くのユダヤ人が無意識に行っている行為が、ここでは意識的に明示されている」 「議定書が偽書?それがどうした?歴史的に真実かどうかはどうでもよい。内容が真実であれば、体裁などどうでもよいのだ。」と発言しています。
この文書が本物であるかどうか、判別することは今となっては不可能でしょう。しかし、その後の世界の歴史や動向、そして現在の状況をみると、決して架空の作り話とは思えない驚愕の内容です。ーーー
●シオンの議定書 第1議定
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ここに私が提案したいのは、二つの視点、われわれ自身の視点とゴイム(すなわち非ユダヤ人)の視点から見たわれわれの体系である。
悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ。
(hourou:ハア〜どっちが???誰しも自分が正しいと思っているのだ)
私は指摘しなければならない。かれらを統治するには、学者ふぜいの論議によってではなく、暴力とテロリズムによって達成することが、最良の方法である、と。どんな人間も権力をめざし、誰も彼もができることなら独裁者になりたがる。わが身の利益を手中にすることを抑えて、万人の利益のためにわが身を犠牲にしようという者は、めったにいるものではない。
人間という名の猛獣を抑えてきたのは何であったか。
(hourou:イルミナティこそ爬虫類人である!)
今まで彼らを牽引してきたものは何であったか。
社会の仕組みが始まった頃には、彼らは残忍で盲目的な力に服した。後には、法律に服した。法律も同じく力であり、仮面をつけた暴力に過ぎない。私は、自然法則に従って、権利は力の中に横たわっていると結論する。
政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつける必要があれば、その撒き方や使い方を知っていなければならない。
その際、相手方が自由思想、いわゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のためになら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。ーーー
国家は盲目な力であって一日たりとも指導者なしにはすまされず、新しい権力者は単にすでにリベラリズムによって弱められた前任者の地位に座るだけだからである。
われわれの時代には、リベラルであった支配者の位置にとって代るのは金力である。かつては信仰が支配した時代があった。自由思想は誰ひとりとしてほどよい使い方を知らない。ゆえに、実現不可能である。
人民を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬間から、共食い闘争が勃発し、階級間戦争に発展し、その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、かれらの権威は一山の灰燼に帰するであろう。
国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかではどのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こそ、われらの出番である。
完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならない。拒めば・・底に沈むのである。
リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを不道徳であると言うならば、私は次の問いを投げ返したい・・どの国も両面の敵をもっているとする。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるならば、さらに悪質な敵、社会と福利の破壊者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳かつ許しがたいと呼ばれなければならないのか?
(hourou:社会と福利の破壊者=とは我々一般人=ゴイムのこと。イルミナティから見たら我々はゴミのような存在と言いたいのだ)
愚にもつかぬものではあっても反対とか批判とかはありうるし、うわべのことにしか理性の力が働かない人民は、反対ということを喜ぶものである。かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りてうまく大衆を導く希望をもてるのだろうか? もっぱらあさはかな情熱、つまらない信念、習慣、伝統、感傷的な理論だけに囚われている間違いだらけの人々は、党派根性にとらわれる。そうなると、完全に理の通った議論を基にしたどんな合意をも妨げる。群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという奇妙な解決を出航させる。
政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではないから、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが所有する新聞に感謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。
率直とか正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政治にとっては悪徳である。それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力を持つものなのである。そのような資質は、ゴイムの王国の属性でなければならないが、われわれは決して彼らの轍を踏んではならない。
われわれの権利は力の中に横たわる。?権利?なる言葉は抽象的な思考であって、なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。
権利はどこから始まるか? どこで権利は終るか?
権威の仕組みが薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる権利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残された彼らの権威ある権利継ぐ王者となる。
すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせない強さに到達する瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざるをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現する。
(hourou: 確固たる支配という善!支配が善とは!ここまで思いこむとおめでたいが、そんな連中に金融がらみですっかり支配されている我々は情けない・・)
ーーー
われわれの前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたるわれわれの辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。
満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、彼らの理解力の欠如を考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理解しなければならない。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。
幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成り立たせているABCを理解することができるのである。(hourou: 実際、イルミナティは特殊な教育、女性には特に性的な教育をしているようだ。このあたりは「ゲームの達人」で詳しく紹介されている。)
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全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことから、どんな国でも申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる。
絶対的な独裁なしには、その人が誰であろうとも、群集によってではなく彼らを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。群集は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮さを発揮する。群集は自由を手にしたとたんにいち早くアナーキーに転ずる。アナーキーそれ自体は野蛮の最高の段階である。
飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。
(hourou: ちょっと耳が痛い?)自由が彼らに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族の歩む道ではない。ゴイムはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落は、われわれの特別な代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たちによって手ほどきされた。彼ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。
(hourou: イルミナティは性的手段や麻薬も支配の道具としている。)
われわれの合い言葉は・・力と偽善である。
(hourou: 偽善ってはっきり言っちゃってるし・・ハハ)
特に力が、政治家に本質的に必要な才能の中に隠されているならば、力のみが政治的諸問題を克服する。暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に達するための手段にすぎない。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配権を握って屈伏させるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。(犯罪者!!:hourou)
平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、盲目的な服従を強いるために恐怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告をもって戦争の恐怖にとって代える権利を持っている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわれの義務としても、また、勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。
報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさず強力である。それは手段そのものであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。われわれは容赦なく不服従というものを根絶することを、十二分に思い知らせる。
はるか以前の時代に遡れば、われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった。以来、幾度となく愚かなオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の福利と、以前は群集の圧力に対してよく保護されていた個々人の真の自由を、この餌をもって破砕し去った。ゴイムのうちの賢者になりたがり屋ども、知識人たちは、もともと中味のないこれらの言葉から何も作り出すことができなかった。これらの言葉が意味するものと相互関係とを否定することには考え及びもしなかった。どこをどう見ても平等はなく、自由などありえず、自然そのものはその掟に従わせるように作られているのと全く同じく、気質、性格、能力が不平等に作られていることを見な� �った。群集が盲目であること、支配を頼むためにその中から選挙された成り上がり者は、政治に関しては群集と全く同じく盲人であること、政治の奥義を授けられたる者は多少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとしても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった・・これらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。
しかも一貫して王朝支配が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからである。王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義は、父から子へ一子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が失われた。これこそ、われわれの主義を成功に導く絶好の機会であった。
誰が総合病院にtreavorランシングを果たしています
地球のいたる所で、われらの盲目の代理人たちのおかげで、「自由・平等・友愛」という言葉が、われらの旗を熱狂的にかざす大群を、われわれの隊列に引き入れてくれた。
(盲目の代理人=今で言えばアホブッシュなど、イルミナティに選ばれたアホ政治家たちのことだ:hourou)
これらの言葉はまた常に、ゴイムの福利に穴をあけ、いたる所で平和、安寧、協同に終止符を打ち、ゴイムの国家の基礎を破壊する生きたエダシャクトリ[果樹の害虫]であった。後に述べるように、このことがわれわれの勝利を助けた。とりわけ、われわれが切札を手中にする可能性をもたらした・・特権の破壊、言い換えればゴイムの貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、われわれに敵対したのである。ゴイムの血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、われわれは、金力の貴族が主導する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した。われわれはこの貴族政治の特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立した。
(中世、金に困った王族に金を貸すことで貸しを作り、女性を送り込み閨閥を作り上げて黒い貴族となった:hou)
われわれの勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。好ましい人物たちとの関係を保つことによって、われわれは常に人間の心の琴線に触れ、金銭欲に、貪欲に、人間のあくことを知らない物質的欲望に働きかけた。言うまでもなく、これら人間の弱点のひとつひとつには、独創性を麻痺させる効果がある。この弱点のゆえに、かれらの行為に金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねるのである。
自由という言葉の抽象性のゆえに、われわれはすべての国の群集に、彼らの政府は国の所有者である人民のための豚小屋の番人に過ぎないのだ、番人は破れた手袋のように取り替えていいものなのだと説きつけることができた。
人民の代表は取り替えられるものなのだ、ということは、われわれが自由に利用できるということであり、言うなれば、任命権をわれわれに預けたことになるのである。
●シオンの議定書 第2議定
われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。
が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれば、戦争は経済に基盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。(とにかく金で支配してきた連中は:hourou)
また、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代理人団の思うがままに操られるだろう。(イルミナティは争わせるのが目的だから偽善の顔を使いながら当事国双方を金で支援するのだ:hourou)
私個人にはどんな制約があろうとも、かれらが百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれないなどというがない。世界にまたがるわれわれの権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、われわれの権利が正確に各国を律するであろう。
われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、
(もちろん大統領を含む:hourou) 奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろう。それゆえに、彼らが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある将棋の駒となるのは容易である。
諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているのである。ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく、空理空論に走る。ゆえに、われわれは彼らに一顧も与える必要もない・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き思い出にひたらせてやろうではないか。
彼らには、われわれが?科学が説くところでは?(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうではないか。われわれが一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的である。ゴイムの知識人たちは、彼らの知識にいい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手なづけてわれわれが望む方向に赴かせんがために、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。(ムカツク〜!:hourou)
ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。
われわれが仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニーチェ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことを直視すれば、事は明白であるはずである。(偽ユダヤ人である!こちらを参照:hourou)
政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の(世界中対象なのだ:hourou)思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要]である。われわれの方式は、われわれが遭遇する人民の気質に応じてさまざまに仕組みの組み合せが案配されるけれども、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約することを怠れば、この方式の勝利はおぼつかないだろう。
今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っている。すなわち、新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられることを指摘し、人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイムの国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。(マスコミはイルミナティの道具、統一教会を通じて支配されており、情報は正しく伝えられていない。インターネットで少しずつ探るのがやっとだが、インターネットすら規制しようとする動きがある:hourou)
新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影響力を行使した。ヴァイスマン博士が、われわれが血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力がわれらの手中にあることを知悉していることは他言を要しない。われわれは、あまたの同胞を犠牲にしてきたけれども、十分に報いられている。
わが方の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、ゴイム一千人に相当するのである。(1対1000!なんと傲慢な:hourou)
●シオンの議定書 第3議定
今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力によって締め上げられるのである。
当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、われわれが、支点を軸として揺れ動き転回させるべく、正確な均衡を欠くように設定してあるからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続けている。
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明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失うように、われわれは深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。
権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、われわれは、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するように仕向けてきた。この目的に向って、われわれはどんな形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権威に対して向けるようにさせた。国家というものを、われわれは混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである……ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。
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なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている。なんとかして彼らはこの束縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはできず、決して貧困からは脱却できない。
われわれが憲法に書き込んだ大衆に関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではない。
いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現されるはずのない観念としてのみ存在することができる。
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かつてプロレタリアートは、われわれが説きつけたことに賛成し、われわれが権力の中に潜ませておいたわれらが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、われらが食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった……貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては全く与えられないのだが、その一方で、彼は仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資をすべて奪われるからである。
われわれの誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益のために、貴族階級は人民の唯一の保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。
われわれは、労働者にわが戦列・・社会主義者、無政府主義者、共産主義者・・に加わるよう提案し、振りかかる圧迫から彼らを救出する救世主を買って出る。われわれは、われらがメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。貴族は、法律によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。
われわれは全く反対のこと・・劣化、ゴイムから生命を奪うこと・・に関心を寄せている。われわれの権力は、労働者の慢性食料不足と肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼はわれわれの意のままに従うようになり、われわれに敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなる。王たちが正当に貴族に与えた権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。
飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、われわれは群集を動かし、彼らの手を使ってわれらが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。
全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであろう。
ゴイムはわれらの専門家たちの助言なしには、考えるという習慣を失ってしまった。ために、彼らは、われらの王国が実現したあかつきには、直ちに採択しなければならない必要欠くべからざることが見えない。すなわち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要であるということである・・それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、
労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分かれなければならないということである。人間活動の実際にはさまざまな差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。
ゴイムには知らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせないようにしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならないように、万人に実地をもって示そうと思う。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであろう。現状の知識とわれわれが人民を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし・・われわれがかれらに誤りを吹き込んできたためと、彼ら自身の無知のおかげとで・・これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは階級と身分の意味を全く理解していないことから来ている。
この憎悪は、?経済危機?の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。
彼らは?われわれのもの?には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのはわれわれであり、われわれは財産を守る手が打てるからである。
われわれは進歩こそがすべてのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。われわれの専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。
一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛のように襲いかかったが、盲人の習いでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、われらの足下に全権をゆだねてしまったのである。
あなたの元ガールフレンドを殺すためにどのように
フランス革命を想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれであった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわれは熟知している。あの革命は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。(第1次第2次世界大戦も彼らが仕組んだ・・「日本人が知らない恐るべき真実」に紹介されている。そして第3次もすでに実行中であるらしい:hourou)
(「ユダヤの仕掛けたフランス革命」・・ゲームの達人より )
その時以来、われわれは人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、彼らは、われわれが世界のために準備している、シオンの血を受けた専制君主に、われわれにも頼らずしても賛同するに至るはずである。
今日、われわれは多国家にまたがる勢力として無敵である。
何者かが攻撃しようとも、われわれは他の国家に支援されるからである。ゴイム人民の底無しの無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが、弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく、罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしないが、思い切った専制者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・われわれの今日をあらしめたのは、[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かつてならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであろう。
この現象、同じ性質の事象と見えることに対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか?
ここには厳然たる事実がある。現代の専制者たちは彼らの代理人を通じて、人民に向いこうささやくのである。権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ・・人民の生活保護、国境を超えた人民どうしの友情、連帯、平等の権利という目的には。言わずもがなのことではあるが、彼らは、これらすべてはわれらの統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。
かくて人民は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民はあらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。
「自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせた。このため、われわれがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書からは抹殺するであろう。
獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければ彼らは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。
●シオンの議定書 第4議定
どんな共和国もいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始まる。次はデモゴギー、つまり民衆煽動である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えない専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。
見えない勢力というものを転覆する位置にあるのはいったい誰か? ここにこそわれわれの特徴がある。非ユダヤ人を入れてあるメーソン員は、われわれとわれわれの目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされる。
しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかないならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があってもよろしいが、平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かないところなのである。このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいい。そうでないからこそ、われわれは信仰という信仰を蝕み、ゴイムの心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。
ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、彼らの気持を工業や商業に向き放しにさせなければならない。そうしてこそ、国民という国民が利益追求に没頭し、そのあげくに彼らの共同の敵に気をとめなくなるだろう。
重ねて述べるが、自由がゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡せんがためには、投機を産業の基礎にしなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、すなわち、われらが階級に転り込むであろう。
他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出している。かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるだろう。彼らの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることである。彼らは金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権ゴイム憎しのために、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆らってわれらの指導に従うであろう。
シオンの議定書 第5議定
いたる所で腐敗が広まっている社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく、懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配以外に、どんな支配形態ならこのような社会にあてはめられるか?
われわれは社会の全勢力をこの手に掌握せんがため強力に集中化した政府を樹立しようと思う。われわれは新たな法律によって、国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思う。それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すだろう。いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴイムを一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さを遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。
私が述べているような専制は、時代の推移にはそぐわないという意見も聞くが、事実は正反対であることを証明しよう。
人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というものがあるという考えをわれわれが彼らの心に植えつけてからは、彼らは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた。?神権による王?の聖油は人民が見ている前で王たちの額から消え失せてしまい、われわれが人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり、われわれがそれを押収したのである。
加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムにはまるで解らない手段を動員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んでわれらが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。
分析、観察、精緻な計算に育てられ、この種の熟練技術に関してはわれわれには肩を並べる者がいないこと、練り上げられた政治行動と固い結束のどちらかではわれわれの競争相手がいないのと同じである。いるといえば、イエズス会だけはわれわれと比べられるだろうが、われわれは無分別な群集の目には見える組織として存在するとは信じられないように工夫してきた。その裏でわれわれは終始一貫秘密の組織を維持し続けてきた。カトリックの首領であろうとシオンの血を受けたわれわれの独裁者であろうと、専制君主は専制君主であることに変わりはない。が、神の選民であるわれわれにとっては、このことは無関心ではいられないのである。
(繰り返すが神の選民などではない、そもそも偽ユダヤ人なのだから :hourou)
ほんの一時は、われわれが全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど深く根を張った不一致があるので、われわれはついぞ危険にさらされずにいる。われわれは、ゴイムを宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返すように仕組んだ。(キリスト教とイスラム教で反目するよう現在も何かと仕組んでいる、幼稚なヤラセテロ9・11では化けの皮が剥がれた :hourou)
このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。
(キリストが生きていた時代からということだ :hourou)
これが、われらに腕を振り上げたとしても、支持してくれる国はどこにもただの一国もない理由である。われわれに対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じているからである。われわれはあまりにも強力である・・われわれの力を逃れおおせるものはない。
国家はわれわれの蔭の関与なしには、ほんの些細な協定を結ぶことすらできないようになっている。
Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)。預言者たちによれば、われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである。神はわれわれがこの使命を遂行できるように、われわれに天与の才を授けられた。仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、われわれに闘いを挑んでいたであろうが、駆出し者というものはしょせん古くから定着している者には太刀打ちできない。われわれと彼らのと闘いは、この世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたものとなったであろう。さよう! 彼らの天才は現われるのが遅過ぎたのである。すべての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンはわれらの手中にある。国家機構のエンジンとは・・金である。わが学識ある長老たちが創造した政治経済学は、長� ��にわたって資本に君主のような威信を与えてきた。
(そう、金が支配するのは確かに事実だ。彼らに支配されない通貨に代わるシステムを構築しようとして集っているものもあるが、些細なことに上げ足を取られ、実現への道は険しいようだ :hourou)
資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざる手によって実践に移されていることであり、そのことは人民を圧迫する助けとなろう。今日では、人民を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重要である。さらに重要なことは、われわれの都合からいえば、人民の焔を抑えることよりも燃え上らせることである。さらに重要なことは、他人の考えを根絶するよりは、その考えをすばやく掴みとり、われわれに都合がよいように翻案することである。われわれの役員会が採択している原理に次のことがある。
非難によって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせること。
(今までの'ゆとり教育'やお笑いブームも官僚やマスコミがイルミナティの手先として仕組んだものと今頃になって気付いた・・:hourou)
いつの時代でも世間の人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきた。競技場で見ることに満足しているが、約束されたことが実行されているかどうかを考えてみようとする者はめったにいなくて、もっぱらショーを見るだけで満足している。そこでわれわれは、人民の利益が進歩に向っていると声高く証明するショー団体を作るだろう。
(そう、映画は彼らにとって恰好の刷り込みアイテムだ :hourou)
われわれは、あらゆる問題について、リベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が嫌になるほど喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるだろう。
世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの頭を迷路に迷い込ませて、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせなければならない。政治のことは一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たちを導く者を通じてしか理解できないからである。これが第一の秘訣である。
(うーん、すっかりハメラレている、確かに政治のことはロクなやつがいないと諦めたりする :hourou)
統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている 。すなわち、広い範囲にわたり国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖させ混沌に陥れ、その中にあっては自分がどこにいるのか見当がとれない有様にさせると、その結果、人民相互の理解ができなくなる。
これこそ別の意味でわれらにとっては有利なこととなる。すなわち、諸党派の中に軋轢の種子を蒔き、まだわれわれに従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれわれわれの仕事を妨害するような個人の企てに対して片っ端から気勢をそぐことになるのである。
個人の企てほどまたとなく危険なものはない。その裏に天才があろうものなら、このような企ては、われわれが軋轢の種子を蒔いた人民何百万人にも勝る力を持つのである。
ストレートなビート2ペアがいますか?
われわれはゴイム社会の教育を指導する際には、彼らが何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向がある。衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。
これらありとあらゆる手段を駆使して、われわれはゴイムを疲労困憊させたあげく、国境を越えた現実の力をわれわれに提供せざるをえなくなるだろう。
その現実の力は、いかなる暴力も用いることなく、世界中の国家支配力を次第に吸収して、超政府を形作るのである。今日の支配者たちに代わって、われわれは超国家管理機関という怪物を設けるであろう。その手は鉗子のようにあらゆる方向に伸び、その組織は巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかないだろう。
●シオンの議定書 第6議定
われわれは近く巨大な独占を確立し始めるだろう。それはゴイムの巨万の富がすっぽり入るような、並外れた富の貯水池である。政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も枯渇するだろう。
御列席の経済人諸君は、この連携作用の趣旨を評価されるのにやぶさかでないと思われる。
あらゆる手だてをつくして、われわれに進んで従う者すべての保護者、恩人を代表するものとして、われらが超政府の重要性を強調しなければならない。
ゴイムの貴族は政治的勢力としては死んだ・・われわれは彼らに考慮を払う必要はない。だが、土地の所有者としては、彼らが生活している土地の資源を使って自給自足しているという事実をもってする限り、無害な存在ではあるだろう。従って本質的な問題は、原価がいくらかかろうとも、彼らから土地を奪うということにある。
この目的達成の最も良い方法は、土地を所有していることが、だんだん重荷になるようにすること・・負債で土地を圧迫することである。このためには土地所有の状態を監視し、高慢にさせずに無条件に服従させ続けるだろう。
ゴイムの貴族は、生れつき足りることを知らないので、急速に燃えつきたり、初めはうまく行っても失敗に帰するだろう。
そうなったらすかさず、われわれは無条件に商業と工業の保護者にならなければならないが、真先になさねばならぬのは投機である。それは産業に平衡力をつける役割がある。
投機産業がないと個人の手中にある資本がふくれて、土地銀行からの負債をなくさせ農業の復活を助けることになるだろう。
われわれが欲するのは、産業に土地から労働と資本を吐き出させることであり、
投機という手段で世界の金すべてをわれわれの手に移すことである。そうしてこそゴイムは、ほかに生きる理由がなくて生存する権利を得ようというなら、われわれの前にひざまづくほかはなくなるだろう。
ゴイムの産業を完全に滅亡させるには、投機の助けを借りて、われわれがゴイムの間で盛んにしてきた奢侈、何もかもを呑み込んでしまう奢侈に対するあくなき欲望をつのらせるだろう。しかしながら、われわれは労働者には好都合にならない程度に賃金の上昇をはかるだろう。
同時に、農業や家畜飼育が駄目になったから上がるのだという理由を付けて、生活必需品の価格をあげるだろう。われわれはさらに進んで、労働者を混乱浸し酒漬けにし、それに加えるに、
ゴイムの頭の良い者たちをすべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むだろう。
時期尚早のうちにゴイムに真相をさとられないようにするために、われわれは仮面をつけて、われらの経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、
いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるだろう。
(周知の事実だが某元首相と某元財務省大臣が手先となっていかにも正論と国民を騙し、郵政民営化で国民の財産をイルミナティに差し出してしまった。優秀な技術を持った企業にはすでに相当な割合で外資が入りこんでいる。日本は狙われている。:hourou)
●シオンの議定書 第7議定
軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは全くできない。われわれの到達目標は、われわれを除いては、世界のすべての国家には、プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。
ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、われわれは騒乱と混乱と敵愾心を起こさなければならない。そのことは、われわれにとっては二重の利益がある。まず第一に、すべての国々を抑制できる。
われわれが意のままに混乱を作り出し秩序を回復する力を持っていることは、よく知られているからである。これらすべての国々は、われわれには圧政に欠かせない力があることを見慣れている。
第二に、われわれは策謀を駆使して、政治的手段により、経済条約あるいは借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであろう。このことを成功に導くためには、われわれは交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力とを発揮しなければならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順を装おい続ける。このようにして、ゴイムの個人や政府は、われわれが見せてやることなら何でもうわべだけを見るように躾けられているので、われわれを恩人とか人類の救世主と思い続けるのである。
われわれに反抗する国がある場合は、
その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折にはわれわれは世界戦争という手段に訴えて対抗しなければならない。
政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿することにある。外交官は言行一致してはならないのである。
ゴイムの政府は、すでに完成の域に達しつつある、われわれが練り上げた大規模な計画に沿うように行動させなければならない。何によってかといえば、いわゆる「強国」と称する手段を使い、ひそかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってである。「強国」・・それは新聞である。その中には、ごくわずか例外はあるが、すでに完全にわれらの手中にある。
ヨーロッパにおけるゴイム政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃してわれらの強力さをすべての国に見せつけることにあり、もしもわれわれに対して総決起することでもあれば、われわれはアメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するだろう。
(日本の!? :hourou)
●シオンの議定書 第8議定
われわれは、敵対者がわれわれに向って使いそうな武器をすべて備えていなければならない。われわれは、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ不正な裁定を下さなければならない場合のために、
言葉の微妙な綾を探し出し、こんがらがった法律用語を駆使して事態を正当化しなけれはならない。
そして、この裁定が最も高潔で道徳にかなったことを法律用語で言っているのだと思わせるように、はっきり述べることが肝要である。われわれの幹部団は、周囲に全分野の知的人士を従え、その中心にあって仕事をするようにしなければならない。
幹部団は、政界人、老練な法曹人、行政官、外交官、そして決定的に重要なことは、われわれの特別な教育機関で特別教育を受けた人士で構成されるだろう。これらの人士は、社会構造のすべての機微を知っていて、政治の初歩から要諦までのすべての用語に通じている。これらの人士は、人間の裏側すべてに通じ、彼らが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している。それらの体系とはゴイムの素質、欠陥、悪習、本質、階級、身分の特徴など、考え方・感じ方の類型を意味する。
言うまでもないことであるが、われわれの陣営の補佐役をゴイムから選んではならない。彼らは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずに事を運ぶことに慣らされている。ゴイムの役人たちは、書類に目を通さずに署名をしている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。
われわれは全世界の経済人にわれらの政府を取り巻かせるであろう。ユダヤ人教育の主たる内容が経済学であるのは、この目的のためである。さらに、われわれの周囲には、銀行家、産業人、資本家・・大切なことは・・百万長者といった人たちのきらびやかな群がいる。実際のところ、万事は金で解決がつくからである。
しばしの間、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期まで、その椅子には別の人間を座らせよう。
(うーん、現在すっかり要職に浸透しているようだ・・:hourou)
とかく過去や世評に何かとあり、国民との間に溝がある人間を、である。
その人間がわれわれの意に従わない場合には処刑し放逐しなければならない・・彼らが最後の息を引き取るまで、われわれの利益を守らせるために。
●シオンの議定書 第9議定
われわれの原理を実行に移すにあたっては、
諸兄が現に居住し活動している国々の人民の性格を考慮していただきたい。われわれが作った鋳型で人民を再教育し終らないうちは、一律に原則を当てはめようとしても成功はしない。しかし、慎重に適用するならば、ものの十年とたたないうちに、最も頑固な人民でも変わり、すでにわれわれに従っている列伍に新しく加わってくるのが解るだろう。
リベラルな言葉、われらがメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」は、われわれの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える。
これがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのである……実際にはわれわれは、われわれ自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したけれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこかの国がわれらに対して反抗を示したとしても、われわれの裁量下、われわれの指導下にあって形式的に反抗してあるに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、われわれが下層の兄弟たち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからである。この問題に関してはすでに討議が重ねられているので、これ以上立ち入らない。
われわれの行動範囲には限界を遮るものがない。われらの超政府は、すでに強力絶大な言葉で現わされている超法規的な状態で存続している・・すなわち独裁である。私は衷心からから申し上げるが、しかるべき時に、われわれは法律を作り、裁判と宣告を行う。われわれは生殺与奪を実行する。われわれは全軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。われわれは意志の力で支配する。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今やわれわれに屈伏し、われわれの掌中にあるのである。われらの手中にある武器は、貧欲、容赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望である。
われわれから生れるもの、それはすべてを巻き込み行く恐怖である。帝政復興主義者、煽動家、社会主義者、共産主義者、あらゆる種類のユートピア夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちがわれわれの用を勤めている。われわれは彼らを利用して、あらゆる労役を課している。彼らの一人一人が、権威の最後の残党まで叩き潰さんがために、現在秩序を転覆させることに燃え上がっている。これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けている。各国政府はもう止めてくれと手すり足すりし、平和のためならどんなことでも代償に出すからという気になっている。だが、われわれは、彼らが心底からわれらに服従し、率直にわれらの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かない。
人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げている。バラバラに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべてのわれらの手中にあるからである。
われわれにはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム群集の「盲目的な」力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に対する打つべき手はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らずわれわれを支持し続け、われわれのみが彼らに指導者を与え、もちろん、彼らをわれらが目指す目標へと引っ張って行くのである。
盲目的な群集の手がわれわれの指導の手から離れないようにするためには、時々、彼らの中に入って直接交流を図らなければならない。実際にわれわれが自身が行えなければ、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要がある。われわれだけが唯一の権威者となった時には、われわれはそれこそ市場のような所で親しく人民と話し合うだろう。また、われわれが目指す方向に彼らを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるだろう。
田舎の学校で教えることを誰が点検するのか? 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは人民の声によって広まるのである。
破壊すべき時期でない時にゴイムの諸制度を破壊しないようにするため、われわれは巧妙にそっと手をかけた。そして、彼らの機械を動かしているバネの端をつまんだ。これらのバネは精妙に、しかも秩序正しく動いていた。われわれはそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えた。われわれは法律の運営、選挙の管理、新聞、個人の自由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練というバネを操った。
われわれは、われわれが教え込んだことではあるけれども、
ゴイムの若者たちに、われわれには嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し困惑させ堕落させてきた。
(平等という美名のもとの社会主義、ロック音楽と麻薬のセットなどですね :hourou)
現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈をすることによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成果は、第一に解釈が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点に明かに見てとれる。
法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。
諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、彼らは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。
●シオンの議定書 第10議定
本日は前の話と重複することから始めるが、記憶に留めていただきたいのは、各国政府と人民は政治のことはうわべだけしか見ないで満足しているということである。実際のところ、どれほどゴイムは、彼らの代表者たちが全力を傾けて楽しませてくれる事の核心を把握しているのか? そのことを細部まで考慮に入れることが、われわれの方針にとっては最高に重要なことである。権力の分立、言論の自由、新聞、宗教(信仰)、法の前の平等な結社の自由、財産の不可侵性、居住、徴税(脱税の考え方)、法の遡及力を熟慮するようにすれば、得る所が多いであろう。これらの問題はすべて、直接手を出したり人民の前であからさまにすべきではないような事である。どうしても直接触れなければならない際には、明確に言い切ってはならない。現在の法についてのわれわれの原則的な考えを微に入り細に穿って語ることなく、単にサラリと言ってのけるだけに留めなくてはならない。なぜ沈黙を守らなければならないかというと、原理を明かさなければ、われわれは行動の自由を確保しておいて、彼らの注意を惹く� ��となくアレコレとそらせるが、一部でも明言してしまうと、たった一言だけで何もかも与えてしまったことになるからである。
群集には一種特別な癖があり、政治力のある天才を尊敬し、そのような人物の悪徳行為に対しては賞賛をこめてこう言う、「ズルい! 本当にズルい。だが、頭がいい!…ペテンだ。しかし、うまいことやったもんだ。すごいことを仕出かすもんだ。大胆極まりない!」
われわれは、すべての国々を新たな重要な機構、われわれが練り上げてきた計画に惹きつけることを期待する。これが、何をさておいても、われわれが武装し、力を貯え、不退転の意志と絶対的な大胆さを身に付けなければならない理由であり、これがわが活動家たちの手でわれらの行手を遮るものすべてを粉砕することに役立つのである。
われわれのクーデターが成功した暁には、われわれはさまざまの階層の人々にこう言うだろう。
「何もかもが恐しく悪くなり、すべてが我慢できない状態に陥ったが、われわれは諸君がこうむっている苦痛の原因・・民族心、国境、身分の違い・・を根絶しつつある。もちろん、諸君がわれわれを断罪するのは自由である。だが、われわれが提供するものに挑戦もしないうちに断罪するとしたら、それはちょっと大胆過ぎるというものではないか」……すると群集はわれわれを讃え、希望と期待にふくれ上がり、全員こぞって手を差しのべ、われわれを激励し、われわれを讃える。人類の一番小さな成員グループにも、グループごとに集会を催させ同意を取り付けてきた選挙という、われわれが揃えてきた道具立てを使って、われわれは世界王の座に就く。このような選挙が、われわれの目的に役立ち、最� �的にはわれわれに有罪宣告を下す前に、全員一致でわれわれともっと親しくなりたいと望むようになる。
以上のことを確保するには、絶対的な多数を獲得すべく、階級や資格の別なく万人に投票させなければならない。知識人や有産者階級だけでは絶対多数は獲得できない。
このように、自分個人が第一という考えを全員に植え込むことによって、ゴイムの家族主義や家庭教育尊重心を粉砕し、癖のある考え方の人間は引き離して一掃してしまう。
われわれが操る群集は、彼らを第一線に立たせないし、証言の機会すら与えてやらない。群集は、従順に応待すれば見返りがあるわれわれの話を聞くことだけに慣らされる。このようにして、群集の指導者としてわれわれが彼らの頭に据えてやった代理人の指導なくしては、どんな方向へも一歩も足が踏み出せないほど総員を一大盲目力に仕上げるのである。人民は新しい指導者たちが自分たちの生計、報酬、あらゆる種類の利益になることを握っていることが判るから、この方式に服従する。
政府の計画というものは、一人の頭脳で万端出来上っているべきである。なぜならば、多数の頭で部分部分をバラバラに作らせると、決して確固不動のものにはならない。それゆえ、われわれは行動計画を知っているのは良いが、その巧妙さ、各部分の緊密な連関性、各要点の隠れた意味を破壊しないようにするには、討議してはならない。度重なる投票という手段でこの種の労作を討論し修正を加えることは、邪推と誤解の烙印を押すことになり、諸計画の進行と結びつきを妨げる。われわれは計画が強力に適切に仕組まれることを欲する。ゆえに、われわれはわれわれの指導の天才の労作を、群集やあるいは特別な団体にすら毒牙にかけさせてはならない。
これらの計画は現存する諸団体をまだ転覆はさせないだろう。それらの経済を変化させるだけで、それによって進歩の動きを全体的に結び付け、われわれの計画に従った道に導くのである。
すべての国々には、名前は似たり寄ったりだが、内実は同じものが存在する。議会、内閣、立法府、評議会、司法府、行政府などである。こういった機関の相互機能を説明する必要はない。なぜなら諸兄はどれも御存知のものだからである。が、一つだけ注意しておきたいのは、ここに名を挙げた機関は、国家の中ではある重要な役割を担っているという点である。この?重要な?という言葉に御留意願いたい。これは機関のことを指しているのではなく、その機能のことを言っているのである。これらの機関はいくつもの部分に分れていて、その全体で政府という機能・・行政、立法、司法・・を果たしている。
そこでは、分割された機関は人体の臓器に似た働きをするようになっている。もしも国家機構の一部を損傷すれば、国家は病気にかかり、死ぬことになることは人体と同様である。
われわれが国家機関にリベラリズムの毒を注ぎ込んだら、その政治複合体全体がある変化を起こし、国家が不治の病い・・敗血症・・に犯され、あとは悶絶死という終焉を待つばかりである。
リベラリズムは立憲国家を作った。
それはゴイムにとっては唯一の安全装置である専制国家に代るものであった。よく御存知のように、憲法は混乱、誤解、争論、見解の相違、各党派の実りなき煽動等の一切合切の学校・・一言にして言えば、これら何もかもが国家の機能を破壊する学校以外の何ものでもない。「おしゃべり屋」連中の手助けをする護民官は、ほかならぬ新聞である。
新聞屋は支配者に怠慢無能の烙印を押し、よって無益無用であると断罪した。実にこのために多くの国々で支配者が退位させられたのである。その時であった、共和国時代到来の可能性が見えたのは。その時であった、われわれが支配者に代えて政府の似顔絵・・群集、すなわちわれらが奴隷、われらの人形たちの中から拾い上げた大統領・・を置き換えたのは。これはゴイ人民の地下に仕掛けられた地雷であった。敢えて申し上げるが、ゴイ人民の地下に、である。
近い将来、われわれは大統領を責任のある役職にするであろう。
(その通り実行された、歴代大統領はフリーメーソン(イルミナティの下部組織)である、フランスのサルコジも同様 :hourou)
その時までに、われわれは表向きの役には就かず、われらの人格なき人形たちに責任を負わせ続けるだろう。権力亡者がだんだん少なくなったとしても、われわれの知ったことではない。大統領のなり手が少なくなり暗礁に乗り上げるとしても、暗礁があろうがあるまいが、国家は最後には崩壊に向って行くのである。
われわれの計画が然るべき成果を挙げるためには、パナマ汚職事件その他のような、過去に隠れた古傷を持っている候補を選んで選挙に臨む・・すると、そういう連中は旧悪を暴露される怖さと権力を得た者の常で、すなわち、大統領の地位に付きものの特権と名譽を失うまいとして、われわれの計画達成の当てにしてよい代理人となるのである。
[フランス議会の]下院は、大統領を選出し、援護し、保護するであろうが、われわれは新法案を提案したり既成法案を修正したりする権限を奪ってしまう。
というのは、この権限は責任ある大統領、われらの手中にある傀儡に、われわれが与えるのである。
そうすれば事の成行きとして、大統領の権威は四方八方から攻撃の的となる。だが、われわれは自己防衛の手段として、人民に呼びかける権限、代議員たちの頭越しに直接人民に呼びかけて決定させる、
すなわち、大統領といえども一員である盲目の奴隷・・群集の大多数・・に呼びかける権限を彼に確保してやる。
そのこととは別に、われわれは大統領に宣戦布告の権限を与えてやる。それには、国軍の長であり新共和国憲法の責任ある代表者たる大統領は、新共和国憲法防衛の際に備え、軍を自由に動かせなければならないと、説明しておく。
容易に理解されるように、この状況下にあって祭壇の鍵を手中にしているのはわれわれであり、
われわれ以外の何者にも断じて立法権を行使させない。
その他に、新共和国憲法を成立させたら、政治的機密保持という名目で政府の処置に対する議会の質問を一切封じる。その上、新憲法によって議員の数を最少限に抑え、それに比例させ政治的煽動と政治熱を減らす。だが、めったに起こることではないとは思うが、もしも最少限に縮小された議会が反抗の火の手を挙げるならば、われわれは即刻全人民という絶対大多数に直接檄を発して議会を廃棄するであろう……大統領は上下両院の議長・副議長の任命が杖となる。通常の議会の会期とは異なって、議員の任期を数ヵ月に縮める。その上、行政の長である大統領には、議会召集解散の権限を持たせる。特に、解散した場合は、新議員任命を延期できるものとする。しかし、われわれの計画がまだ熟成していなくて、実際 には非合法の状態でこれら一連のことを全部実行して、
なおかつわれわれが立てた大統領に全責任を負わせないためには、大統領周辺の大臣や高官を教唆して、彼らが自分たちの裁量でやったことであり、彼らを身代りにして責任を取らせることで、
大統領の責任を回避させる……この件に関しては、われわれは特別に上院、最高行政裁判所、閣僚会議に役割を与えるが、一個人には勧めない。
大統領は、幾通りにも解釈できる法律の意味を、われわれの意図する通りに解釈するであろう。大統領はさらに進んで、われわれが廃止の必要を指示すれば、法律を廃止することもやるだろう。
その他に、大統領は臨時法を、
また、国利国益のためにはこれが必要だと言いつくろって、憲法の枠から逸脱した新しい法案すら提案する権限を持つだろう。
かような手を打っておくと、少しづつまた少しづつ、一歩一歩と破壊する力が働いて、われわれが諸権利を手に入れた当初、ことごとくの憲法を気付かれないうちに無効にさせるために憲法の中に隠し据え、ねじ込んでおいたものすべてが、われらの独裁政権があらゆる政体の政府を束ねる日を到来させるのである。
憲法廃止以前にわれらの独裁者が認められるかも知れぬが、その秋が来ればそれまでの支配者たちの無能無策に・・われわれが仕組んだことであるのだが・・業を煮やした人民たちは、大声で叫ぶだろう。「奴らを追放しろ、世界を治めるのは一人でいい。おれたちをまとめて争いの種をなくしてくれ・・国境、民族、宗教、国債、そんなものは御免だ・・平和と秩序をくれ、今までの支配者や議員が決してくれなかった平和と秩序を!」(現在新憲法を含むESARA計画中とか・・:hourou)
だが、諸氏は完璧に理解されていると思う、
すべての国々でこのような叫びを挙げさせるには、すべての国々で、紛争、憎悪、闘争、羨望、さらに拷問、さらに飢餓によって、人間性が疲労困憊の極に達するまで、人民と政府との関係を悪化させることが絶対不可欠であることを。これら悪の予防接種を施すことによって、また欠乏によって、ゴイムは金銭その他すべてのことにわたってわれわれの支配下に入る以外のことは考えなくなる。
ただし、もしも世界の国民にホッと一息でも入れさせるならば、われわれが渇望する時は九分九厘到来しないのである。
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